老眼初心者による本や映画の話

あまり読まない本とあまり見ない映画の話

本『菊と刀』

 げげっ。まったく更新していない。今年はってもう2月だが、すこしは書こう。
       ★
 ルース・ベネディクト『菊と刀』(講談社学術文庫)を再読しました。何年ぶりでしょうか。原著 The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture は1946年に刊行され、1948年に長谷川松治によって邦訳されています。私が読んだ講談社学術文庫も長谷川訳ですが、角田安正訳の光文社古典新訳文庫も手許にあります。新訳はかなり易しい印象。
 恩とか忠義とか人情とかを論じる点には違和感を覚えるところもあるんですが、じつは日本に来たこともないという彼女の論文の嚆矢は、日本人が世界一の階層社会のなかに生きていて、自分も、日本という国家も「あるべき場所」に身を置こうとしている、という指摘です。
 八紘一宇を標榜した先の戦争でも、日本の大義名分はそうでした。
《日本は階層的秩序(ハイアラキー)を樹立するために闘わなければならない。この秩序の指導者は──それはむろん日本である。なんとなれば、日本は上から下まで真に階層的に組織されている唯一の国であり、したがって、おのおのがその「所」を得ることの必要を最もよく理解しているからである》(35ページ)
 日本はアジアでは覇者だと考え、ほかのアジアを支配しなければならない、と考えました。それを八紘一宇というのです。
       ★
 日本人は男性中心の階層社会に組み込まれていて、彼女が指摘した階層に今もって束縛されています。肩書き・年齢・所属するコミニュティの位置を考慮しながら、自分の「あるべき場所」を探り当てつつ生きているのです。たとえば、なにかのパーティで、大企業の部長と中小企業の社長と銀行の営業課長が鉢合った場合、誰が誰にビールを注ぐべきか、互いに判断できるということです。
 彼らの社会的な序列の上には政治家とか経団連とかのトップが居座っています。男たちは上司に対して反旗を翻さないのと同じく政治家の文句を言わない。今もむかしも「お上のいうこと」には逆らわないのです。むしろ、せっせと忖度する。そんな国の民草に、主権者であるという自覚が生まれるわけはありません。
 デモに参加するといってテレビのインタビューに答える日本人はたいてい年寄りか主婦です。それはつまり、彼らが階層社会の三角型のやや周縁に存在し、トップを批判しても自身に反撥が少ないからでしょう。もし会社員がテレビのインタビューに応え、安倍政権に反対を唱えたら、会社から叱られる可能性は大いにあります。裁量労働制というインチキ法案が成立すると、サラリーマンは「定額働かせプラン」の苦役を強いられるかもしれないのに、国会の前に会社員が大挙してデモをするなんて奇跡は起きないでしょう。
 国同士に関して言えば、とくに現政権はアメリカの言いなりのくせに、対アジアでは優位にあるような態度をとる。日本の「あるべき位置」をそう思い込んでいるからです。現在、ネトウヨが発信する嫌韓・嫌中的な妄言は、八紘一宇の意識がそのまま続いていることを表し、一方、日本政府の対米隷属は、世界の階層のなかで日本はアメリカの下にある、ということを示しています。
 今後も『菊と刀』は読み直すことになるだろうし、関連本も読まねばならないと思います。いま、自分が考えるべきテーマは日本人の階層意識です。

菊と刀 (講談社学術文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)

 
菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

菊と刀 (光文社古典新訳文庫)