盛川和洋の装丁の仕事

盛川和洋の仕事の紹介

半七捕物帳1

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しばらく編集者時代のものを──。

2001年に、岡本綺堂『半七捕物帳』全六巻を新装版として刊行することになり、担当者でもない私は、勝手にアートディレクションをさせてもらいました。

タイトルは「顔眞卿大字典」から拾ってきて少し加工しました。スミフチで囲って著者名等の位置を決め、フォーマットを固めました。刊行後、ある高名な作家の方が褒めてくださったと人伝に聞きました。じつは少し前から帯の高さが50mmに変更になっていたんですけど、45mmと思い込んでつくってしまったため、巻数の下の括弧が帯に隠れていました。お恥ずかしい限りです。

このころは、Adobe illustrator や Photoshop にも慣れ、すでに何度かデータ入稿もしていました。

アートディレクション第1号

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初めてアートディレクションの話です(本そのものがいま見当たらないので、昔あるところに載せた画像です)。

1997年、私は編集者でした。頂戴してきた文庫書き下ろしの原稿は、抜群に面白い歴史伝奇小説だったんです。ところが千枚以上の大作で、どう売るか頭を悩ませました。二分冊ではなく、一冊で行こうと会議で決まりました。

当時、光文社の時代小説文庫は上に横長にベタを敷いてタイトルと著者名を横書きにし、イラストはその下に四角く入ると決まっていました。しかしこの本は、タイトルスペースを半分無視。大きくイラストを描いていただきました。帯の用紙も通常とは違うトレーシングペーパー。背には特大のタイトルを薄く入れて分厚さを強調しています。

当時はまだデジタル入稿をする勇気がなく、パソコン上でつくったデータと指定を書き、ほかの方に正式な版下にしてもらいました。

今考えたら編集部の下っ端がわがまま放題やっていますが、おかげさまで何度も重版がかかりました。思い出深い本です。

はじめました

ブックデザインの仕事をしている盛川和洋(もりかわ・かずひろ)と申します。本ブログでは、自分の過去の仕事を紹介します。

自己紹介

まずは自己紹介です。1965年11月広島県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文科出身。日本近代文学を専攻し、卒論は宇野浩二について書きました。1990年、株式会社光文社に入社。文庫編集部でエンタテイメント小説からノンフィクション、実用書などさまざまなジャンルの本を担当。ブックデザインに興味を持ち、2002年にデザイナーとして独立、今日にいたります。

趣味はジョギング、落書き、将棋。本に関することは、デザインのみならず、読むことも、編集作業も、原稿を書くことも、新刊書店や古本屋をブラブラすることも、本の香りや手触りを愉しむことも、つまりなにからなにまで大好きです。

当ブログをはじめた理由

昨年少し仕事を整理していたら、あるジャンルの仕事が特定の出版社からしか依頼されてないことに気づきました。私がデザインした女性エッセイを読んだある編集者が、「盛川さんて時代小説専門だと思っていました」とおっしゃったのを思い出しました。特定ジャンル専門というブックデザイナーはいないと思っていたのです。

これは宣伝しなければ──、と思い立った次第。

本来であれば、ポートフォリオを作って各出版社を訪問しなければならないところですが、新型コロナウイルスのため自由に出歩けない事情もあり、ひとまずブログに画像とテキストをまとめることにしました。少なくとも数ヶ月は、ネタが尽きない限りなにかしら仕事をアップしつづけます。

よろしくお願いいたします。

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