パソコン用のフォントが少ないころは写研の文字をよく使っていました。おそらくこの本のタイトルは漢字が秀英明朝で、平仮名の「の」が築野蘭Eです。前回の「猫と恋……」の平仮名は築野蘭Bだと思います。結構好きな書体です。
Iさんとの仕事・3
Iさんとはほかにもいろいろ仕事をしました。この後も出てくると思います。
Iさんとの仕事・2
こちらもIさんとの仕事でした。
Iさんとの仕事・1
『人形佐七捕物帳』の新装版を出すということで、ご依頼をいただきました。図書館に行って挿絵画家・神保朋世先生の挿絵をたくさんコピーし、このようにまとめました。装画に私が彩色しています。神保先生は故人でしたが、奥様に彩色したものをご覧に入れ、許可をいただきました。
担当編集者は私が会社に入ったとき同じ編集部にいた二年先輩のIさんです。毎晩飲み歩くような、ザ・編集者でした。10年くらい前にフリーになられてからも、年に数回はお会いしていたですが、数年前から体調を崩されました。訃報を聞いたのは去年です。一昨年、お目にかかったのが最後になりました。ご冥福をお祈り致します。
市松模様1
カッパ・ノベルス、2003年の刊行です。(画像ではわかりづらいんですけど)タイトルや著者名欧文、背の文字も黒箔です。文字に変形をかけました。
この当時、カッパ・ノベルスはフォーマットがなく、表4(裏表紙)や袖もデザインさせてもらっています。袖や目次、扉には市松模様を入れました。
本当にありがたいことに
会社員時代、いろんなところでご一緒した徳間書店の編集者Mさんからご依頼いただきました。独立してまもなく20年、本当にみなさんに感謝しております。
鮎川哲也作品のカバー4
鮎川先生の著作を文庫で5冊復刻する予定でしたが、先生の代名詞ともいえる作品『黒いトランク』を刊行させていただけることになり、計6冊刊行したのでした(鮎川作品はこの後何冊も復刻されることになりましたが、その話はまたいずれ)。
黒いトランクは2002年1月の刊行。私、初読時はさっぱりわからなかったんです。単語帳にメモをとり時系列ごとに整理して、やっと作品の緻密さを理解しました。若き鮎川先生はこんなすごいこと考えていたんですね。巻末に、トリックの図解をつくって入れましたが、もちろんご覧になるのは読了後に。
編集の仕事は魅力的でした。しかし、土日や平日深夜に自宅で単語カード見ながら図表をつくったりカバーデザインしたりして、自業自得とはいえ少し忙しすぎ、体調を崩してしまいました。この年の6月1日に独立しました。
鮎川哲也作品のカバー3
当初、鮎川先生には5冊の許可をいただいていて、『死びとの座』という作品も復刻したのですが、そちらは本も入稿データも見つからず……。発見したらこちらに追加いたします。
鮎川哲也作品のカバー2
本格推理小説とは、純粋な謎解き小説です。犯人につながるヒントはすべて小説内に提示されていて、小説内の探偵役と読者が最後に知恵比べをします。
当時、本格推理ブームが再燃し、才気溢れる若手がどんどんデビューしていました。鮎川先生は本格物の大御所として注目されていたのです。私は初読の本も多く、面白く読んでいました。
タイトルの下のほうの馬のマークはチェスのポーン(八方向に桂馬跳びする駒)です。当時、わたしはチェスがマイブームで、昼休みに同期のSとチェスを指したり、ボビー・フィッシャーの棋譜などを並べていました。大人がたしなむ知的ゲームという点で、チェスと本格推理は似ていると愚考しまして……。
鮎川哲也作品のカバー1
2001年、担当させていただいていた鮎川哲也先生の本を5冊復刻し、カバーデザインをしました。すでに自分の担当した文庫を何冊かデザインしていました。鎌倉の鮎川先生のお宅に行ったさい、「私にデザインさせてください」とお願いすると、「ほお」と驚きつつも承諾してくださいました。
当時、文庫編集部では特色や特殊加工をした本を何冊も出していましたが、この本は通常の4色印刷でやることに決め、いろいろ考えた末、同系色のパターンを作ることにしました。本シリーズでは、幻想的な武田さんのエッチングをお借りしています。帯はメタルカラーふくめ2色の特色。表4(裏表紙)に入れるあらすじや著者略歴のパターンも私が勝手に作り替えていて、わがままし放題です。
先生の本は市場から払底していて、角川文庫はそれなりに値が張っていたんです。みんな復刻を待っていたらしく、売れ行き好調で安心しました。